SSブログ

生ける神の手に落ちることは恐ろしいことです [ヘブライ人への手紙]

もし、わたしたちが真理の知識を受けた後にもなお、平気で罪を犯すなら、
わたしたちの罪を赦す犠牲(いけにえ)は、もはやあり得ません。
ただ、裁きと逆らう者どもを焼き尽くす激しい火を恐れつつ待つばかりです。

モーセの律法を無視する者は誰であっても、二、三人の証言によって、
容赦なく死罪に処せられるのです。ましてや、神の子を踏みつけ、
自分が聖とされた契約の血をないがしろにし、恵みの霊に侮辱を加えた者は、
さらにもっときびしい罰に値すると思いませんか。

「復讐はわたしのすること。
わたしが仕返しする」

また、

「主はその民を裁かれる」

と仰せになった方をわたしたちは知っています。
生ける神の手に落ちることは恐ろしいことです。

ヘブライ人への手紙10章26-31節


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

自分を欺いてはなりません [コリントの人々への第一の手紙]

あなた方は知らないのですか。あなた方は神の住まいであり、
神の霊があなた方の中に住んでおられることを。
もし、神の住まいを壊す者があれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。
神の住まいは聖なるものであり、あなた方はその神の住まいなのです。

誰も自分を欺いてはなりません。
もし、あなた方のうちに自分をこの代で知恵のある者と思う人がいるなら、
ほんとうに知恵のある者となるために、愚かな者になりなさい。

コリントの人々への第一の手紙3章16-18節
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

自分を反省し、自分を吟味しなさい [コリントの人々への第二の手紙]

かつて罪を犯した人やそのほかすべての人に、わたしは二度目に滞在していた折、
あらかじめ言っておいたyほうに、離れている今も前もって言っておきます。
「今度行った時は、もう容赦しない」と。

あなた方は、信仰を生きているかどうか、自分を反省し、自分を吟味しなさい。
それとも、イエス・キリストがあなた方の内におられることを自覚していないのですか。
あなた方が偽の信仰者であるとすれば、話は別ですが。

コリントの人々への第二の手紙13章2節、5節
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

ヨハネによる福音書 [ヨハネによる福音書]

驚いてはならない。時は迫っているからであり、
その時には、墓にいる者はみな、人の子の声を聞く。
そして、善を行った者は、復活して命に至るために、
悪を行った者は、復活して滅びに至るために出てくる。

ヨハネによる福音書5章28節ー29節
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

悪を貪らない [コリントの人々への第一の手紙]

兄弟たち、次のことはぜひ知っておいてもらいたいと思います。
わたしたちの先祖はみな雲の覆いに守られ、みな海を通り抜け、
雲の中、海の中で、みな同じ霊的な食べ物を食べ、
みな同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、
後からついて来ていた霊的な岩でしたが、その岩とはキリストでありました。
しかし、彼らの多くは神のみ心にかなわなかったので、
荒れ野で滅ぼされてしまいました。
以上のことはわたしたちを戒める前例として起こったのです。
つまり、先祖たちが悪を貪ったように、わたしたちも悪を貪らないためです。

コリントの人々への第一の手紙10章1-6節
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

わたしを裁くのは主なのです [コリントの人々への第一の手紙]

わたしは自分に何らやましいところはありませんが、だからと言って、
わたしが義と認められたわけではありません。
わたしを裁くのは主なのです。
ですから、あなた方は主が来られないうちに、
どんなことも決して早まって裁いてはなりません。
主は暗闇に隠されているものを明るみに出し、心の中の企てを露わにされます。
その時には、一人ひとりが神のおほめにあずかるでしょう。

コリントの人々への第一の手紙4章4-5節
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

建物が火に耐えれば、その人は報いを受け [コリントの人々への第一の手紙]

なぜなら、すでに据えられている土台、すなわち、イエス・キリストという土台のほかに、
別の土台を誰もすえることはできないからです。
もし、誰かこの土台の上に金、銀、宝石、木、草、あるいは藁で家を建てるとしたら、
一人ひとりの仕事は明るみに出されます。「かの裁きの日」が、それをはっきり示すでしょう。
なぜなら、「かの裁きの日」は火とともに現れ、
その火は一人ひとりの仕事がどのようなものであるかを吟味するからです。
誰であろうと、その土台の上に立てた建物が火に耐えれば、その人は報いを受け、
焼けてしまえば、その人は損害を受けますが、
その人自身は火の中をくぐり抜けて来た者のように救われます。

コリントの人々への第一の手紙3章11-15節
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

キリストが座る裁きの座の前に立って [コリントの人々への第二の手紙]

なぜなら、わたしたちはみな、キリストが座る裁きの座の前に立って、
善であれ悪であれ、体を住まいとしていた間に行ったことに応じて、
一人ひとり報いを受けなければならないからです。
このように、わたしたちは主に対する畏れを知っていますので、
人々を説得しようとしていますが、
わたしたちのことは神の前でありのままに知られているのです。
あなた方の良心にもありのままに知られるように、わたしは望みます。

コリントの人々への第二の手紙5章10-11節
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

決して天国に入れない人 [ヨハネの黙示録]

しかし、清くないすべての者や、憎むべきことや偽りを行う者は、
決してこの都に入れない。入れるのはただ、小羊の命の書に書き記された者だけである。

ヨハネの黙示録21章27節
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

いつの時代の人々もわたしを幸いな者と呼ぶでしょう [ルカによる福音書]

主が、身分の低いはしために、目を留めてくださったからです。
そうです、今から後、いつの時代の人々も、
わたしを幸いな者と呼ぶでしょう。

ルカによる福音書1章48節

「いつの時代の人々も」と聖書にあるのに、「聖書のみ」のプロテスタントが
マリア様を目の敵にするのは何故だろう。

初期のプロテスタント(マルチン・ルターなど)はマリア様を崇敬していた。
しかし、だんだんそれは薄れ、「いつの時代の人々も」という聖書の言葉を
多くのプロテスタントが無視するようになってしまった。

ぼくがプロテスタントだった頃、そういう自分がいたが、聖公会の教会に所属する
ギリシャ語の先生に触れて、ぼくのマリア観に変化が起きた。
カトリックになってからも少しずつマリア様のことを理解していった。

まだまだ理解できないことがある奥深いマリア様だけど、
彼女を知ることが出来て、彼女を「幸いな者と呼ぶ」人々の中に入れて、
ぼくも幸いな者だ。

Birds of a feather flock together.(類は友を呼ぶ)
文字通り、同じ羽を持つ鳥は集まる。
マリア様を愛する人々の中にいることが今は心地よい。
以前のぼくだったら違和感感じまくりで耐えられなかっただろう。
人は変わるものだ。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。