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衣を小羊の血で洗って白くしたのである [ヨハネの黙示録]

すると、長老の一人がわたしに問いかけた。「この白い衣を着た者たちは、だれか。
また、どこから来たのか。」
そこで、わたしが、「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」と答えると、
長老はまた、わたしに言った。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、
その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。」

ヨハネの黙示録7章13-14節

2015年11月1日日曜日 諸聖人の日 第一朗読から
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決して天国に入れない人 [ヨハネの黙示録]

しかし、清くないすべての者や、憎むべきことや偽りを行う者は、
決してこの都に入れない。入れるのはただ、小羊の命の書に書き記された者だけである。

ヨハネの黙示録21章27節
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聖なる者となれ [ヨハネの黙示録]

それからまた、わたしにこう言った、
「この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近いからである。
不正を行う者はさらに不正を行い、汚れた者はさらに汚れた者となれ、
正しい者はさらに正しいことを行え。聖なる者はさらに聖なる者となれ」。

ヨハネの黙示録 22章10-11節

この聖句は畏るべきものである。間違っていてもそのまま突き進んでしまうのは恐ろしいことだ。
崖から落ちるのがはっきりしているのに、そこへ向かって全力で走っているようなものだ。

終末論を学んでいて、はっとさせられた。
「掲挙」(rapture)とか「千年王国」とかの誤りを確認しただけでなく、
本当に大切なのは、天国にいけるのかどうかだ。
それが終末論を語る大前提である。
でなければ、それはただの学問的論争にすぎない空虚なものになってしまう。

「クリスチャン」であろうとなかろうと、「カトリック」であろうとなかろうと
聖なる者にならなければ天国には入れない。
そんな単純なことが見えていなかった。

「イエス様を一度信じたらどんなことがあっても天国に行く」(Once saved, always saved.)
ということをプロテスタント時代に教えられ、信じていた自分がいた。
聖書を信じる牧師さんたちが何故そのような誤りを平気で語れるのか・・・。

イエス様を信じても、この世の快楽に引かれてその道から離れる人は
初めから救われていなかったのだ、
とその神学は逃げ口上を用意しているが、それはまったく聖書的ではない。

エジプトの奴隷状態から開放されたイスラエルの民も「約束の地」に入れなかった者たちが大勢いた。

つづく



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