SSブログ

キリストの洗礼とノアの箱舟 [カトリック教会のカテキズム]

701 はと。大洪水(洗礼に関する象徴)の終わりに、ノアが放ったはとは
くちばしにみずみずしいオリーブの小枝をくわえて戻ってきましたが、
これは土地が再び住めるようになったしるしでした。
キリストが洗礼の水から上がられた後、聖霊ははとの形でキリストの上にくだってとどまりました。
霊は受洗者の清められた心にくだってとどまります。
ある聖堂では、聖体が祭壇の上にっり下げられたはとの形の金属製聖櫃(columbarium)に
安置されています。
聖霊を表すはとの象徴は、キリスト教の聖画像では伝統的なものになっています。

その同じ日に、ノアとノアの息子たちセム、ハム、ヤフェト、
それからノアの妻と息子たちの三人の嫁がともに箱舟に入った。

創世記7章13節

そうか、そういうことだったのか。ノアの箱舟にいたのは8人、
昔のものは過ぎ去り、新しい創造がその8人から始まった。
旧約聖書で週の7日目は安息日で土曜日にあたるが、
キリストが復活した日曜日が8日目、つまり新しい週の1日目。

「キリストが洗礼の水から上がられた後、
聖霊ははとの形でキリストの上にくだってとどまりました」というのは
このノアの洪水と照らし合わせて新しい創造の訪れを語っていたんだ。

カトリック教会のカテキズム、おそるべし。

また、聖霊がくだるのは「土地が再び住めるようになった」時、
すなわち、過去の罪がきれいに洗い流された(洗礼を受けた)時、
しかし、下った聖霊がとどまるのは、キリストの上、
箱舟に戻ってきたハトはその後去っていってしまった(創世記8:11)。

洗礼という素晴らしい恵みを受けた後、わたしたちがキリストにとどまれば、
聖霊もとどまってくださる。
わたしたちがキリストから離れれば、聖霊は去っていってしまわれる。
イメージとしてはそうだが、実際は、わたしたちが聖霊から離れていくのだ。

キリストに悲しみや憤りをもたらす生活をするのは、聖霊との関係を断ち切ることになる。
クリスチャンがそういう生活をしているなら、悔い改め、赦しを受け、
「土地が再び住めるようになった」状態に戻らねばならない。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

火のような試練Mariology 101 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。