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教会の終末的な姿としてのマリア [カトリック教会のカテキズム]

972 これまで、教会とその起源、その使命ならぴに将来について眺めてきましたが、
やはり最後は、マリアに目を向けて、彼女の中に教会の神秘、「信仰の旅路」にある教会の姿、
旅路の果てにある祖国での教会の姿を観想しながら締めくくるべきでしょう。
この旅路の終わりに、教会が「至聖にして不可分の三位一体の栄光となるよう」、
「すべての聖人たちの交わりのうちで」待っているのは、まさに、
教会が主キリストの御母として、また自分たちの母としてあがめているかたなのです。
「イエスの母は天上において、肉体と霊魂ともどもすでに栄光を受けているものとして、
来世において完成されるぺき教会の像であり始まりであるように、地上においては、
主の日が来るまで、旅する神の民にとって確実な希望と慰めのしるしとして輝いています」。

カトリック教会の終末論は実にシンプルにまとめることができる。

マリア様のようになること、それが聖なる者になるということ。
受胎により神と心も体もひとつになった唯一の方のように、
いつの日か、わたしたちも心だけでなく体もひとつになることを待ち望み、
その日のために準備しておくこと。
これが人生の意味、人生の終わりに起こって欲しい出来事、終末論。
天国へ行くというのは、そういうことだ。
そこには聖なる神がおられ、そこに入るものは聖なる者でなければならない。
マリア様のように。

アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、主はあなたと共におられます。
あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、わたしたち罪びとのために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。 アーメン。


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